去年の9月25日に帰国してから半年が経とうとしてる。
早いのか、
遅いのか、
「なんか毎日楽しいそうで、不安とかなさそうやね?」
こんな声をかけてもらうことが多いんよね。
そりゃ、
誰かといてる時は楽しくなるし、
人生は本当に楽しいし、
これからももっと面白くなっていく、
と思って毎日過ごしてる。
でも、、、
ここ数年ですごい考えることがあるねん。
多分、長文になると思うけどお付き合いいただければありがたいです。
旅を始めてから5年が経とうとしてる。
すごい濃厚な5年間で、
まだ5年しか経ってないんかって思うような時間を過ごさせてもらってる。
それも、まだもう少し続くと思う。
日本を見て、
世界を見て、
地球を見て、
旅のスタイルに疑問を持って、
歩き始めて、
少しずつやけど、たくさんのことを学ばせてもらってる。
そんな中で、
日本に帰って来る度に「?」が増える。
なんで日本はこうなんや?
海外ではこうやのに。
アメリカ人はこんなで、
南米はこんなで、、、
っていう話じゃない。
日本には日本の文化があって、
海外にはそれぞれの国の文化があって、
それを自分の国に持ち帰ってああだこうだいうつもりなんてさらさらない。
外人はみんなフランクですぐ話しかけるのに、
なんで日本はみんなそうしないのか?
生まれてきた環境が全く違うから当たり前やん!
気温も、
街並みも、
食べ物も、
法律も、
税金も、
何もかも違う環境で育ってきたんやからそれが普通。
それぞれの人が持ってる普通の価値観が違うのは当たり前でいいと思ってる。
僕の中で大きくなってる「?」ってのは大きく2つあるような気がする。
「これからの世の中」
と、
「これからの自分」
簡単にいえば、これからの世の中で自分がどう生きていくかって話。
なんで、そんなこと思うようになったかっていうと、、、
理由は挙げだしたらきりないと思うねんけど、、、
全てのきっかけはやっぱり旅が僕に与えた。
生まれてから東京で働いてたまでの23年間。
毎日見てたテレビが、旅にで始めてから不必要になった。
なんとなくテレビをつけてた時間が、
旅をする時間になって、
本を読む時間になって、
色々考える時間をくれて、
今までを振り返ったり、
これからに思考を巡らせる時間になった。
旅も一区切りして日本の生活に戻ったら、、、
知らんことが山ほどあることに気づかされる。
タレントの名前がわからん、
いつの間にかテレビにはハーフタレントが一杯いる、
ユーチューバーって人たちが現れてて、
フォトジェニック、
インスタ映え、
ストーリーがどうの、
LINEの機能、
VR、
360度カメラ、
そんなことに触れてまた日本を出る。
半年前後日本を離れて帰ってきただけやのに、
また新しい「なにか」がブームになってる。
まるで浦島太郎状態。
要するに、インターネットの普及でいろんなことが想像もつかへん勢いで加速して変化してる。
ちっちゃい時は、「めちゃいけ」とかのバラエティー番組を見てなかったら、学校で話についていけへんぐらいやったのが、
多分今は、インスタ、ツイッターの更新、ファッション、トレンドに乗り遅れない、LINEでの既読がどうの、
そんなことにまで気を配らないと、ついていけない時代なんかもしらん。
それが、いじめとか自殺に繋がってるんかもな。
中学生の時に携帯が一般化し始めて、
友達が持ち始めて、
当時携帯持ってなかった僕からしたら、
羨ましいというより、のけ者にされてる感が強かった。
当時お付き合いしてもらってた彼女もそれを持ち始めて、
なぜか自分だけが取り残されて、
周りの友達たちが別の世界に行ってしまったような感情に包まれたのをよく覚えてる。
幸い、その頃は「サッカー」が僕を救ってくれたと思ってる。
ボール蹴ってる時だけはそのことで夢中になれてる自分がいたし、
気がつけば日が暮れるまでボール蹴ってたな。
今となっては「サッカー」がたくさんのご縁を連れてきてくれてる。
旅は、僕にたくさんのことを教えてくれた。
日本に居てたら経験できないこと、
出会えない人や景色、感情に合わせてくれた。
それは「視野を広げてくれた」と言えばよく聞こえるけど、
言い方を変えたら、、、
「知る必要がないことも知ってしまった」のかもしらん。
僕が旅をしてるのは、「勉強」のつもりやったのが、
今は出てこれないぬかるみにはまっているように感じる時もある。
旅人は、それでも旅に出る。
そこに何を求めてるのか、
何に惹かれてるのか、
そんなことは誰も本当の答えは知らないし、答えなんてないんやと思う。
それでも「なにか」に導かれて歩みを止めようとしない。
そんなことを考えすぎると、
今の自分の置かれてる状況を客観的に捉えてしまうこともある。
「まだ28歳!」
と思う自分と、
「28歳になってしまった。」
っていう気持ちがほぼ同じパワーで自分の思想を支配支配して、
悪い方に傾いた時は、無気力感に襲われることもあったりする。
ただ、その無気力感のどん底まで行けば、不思議と行動欲が沸き立ってくる。
無気力でも死ぬわけではないし、
一日一日命を繋ぐことだけ考えたら、
農家にいって働かせてもらって、
出荷しない野菜をもらって、
雨風が凌げる場所だけで生きていけると思う。
でも、そんな人生になんの意味があるのか?
「命は長持ちさせる為にあるんじゃない。その命を何に使うかでその価値が決まる。」
その言葉には落ちきった僕の気持ちに少しだけ小さな翼を与えてくれる。
「じゃぁその命を何に使うのか?」
っていう課題が出てくる。
やりたいことをやりたいっていう前提で話をするけど、
その為には「お金が必要」
っていうのが通説なのかもしらん。
でも、この前読んだ本にはこんな一文があった。
「幸せなお金持ちになりたかったら、お金のことを考えてはいけない。」
矛盾してるけど、核心をついた一文。
僕もお金はいらないなんて思ってない。
というより信用通貨っていう考え方からすれば、その人の信用を表す数値。
いうならば必要不可欠なものなのかもしらん。
「何に命を使うのか?」
「旅よく行くならブロガーとかどうなん?」
「ユーチューバーとか稼げるらしいよ。」
そんな提案がよくある。
確かに手段としてはありな選択肢なんやと思う。
ただ、なぜか心が踊らない。
思いを綴ったブログを書いてる時は有意義な時間を過ごせてるし、
アクセスが伸びればやっぱり嬉しくも感じる。
でも、それを見てくれる人が増えれば増えるほど、
リアルから離れていく人が増えていく。
自分のやってることをこうやって発信してる時点でリアルから離れてしまう人がいるのも事実。
「まるで自分も旅をしてるみたいでいつも見せてもらってるよ〜〜」
という割れることも多いんやけど、、、
旅の良さ悪さは、「やった人にしかわからへん」ってのは揺るぎないもの。
そんなこと考えてたら、これからどうしていけばいいかわからんくなってくる。
もしかしたら、アメリカのロングトレイルを歩いてるのも、
そんなしがらみから逃げてるんかもしらん。
自然に囲まれて、
インターネットから隔離されて、
物思いに耽る。
自分の居心地いいとこに甘えてるんかもな。
世の中は、自分がどうしようと変わっていってしまう。
その中で自分が何に重きを置いて、
何を信じて生きていくかが大切なんやと思う。
やりたいことはあげれば山ほどあるけど、
生きてる中で全部できるわけもない。
自分一人がやれることなんてほんま少しのことで、
意味をなさないようなぐらい小さなことなんかもしらん。
それでも、目の前の人が元気になってくれたらやっぱり嬉しい。
そう考えたら、「自分の人生は誰かのため」にあるんかもしらん。
一人でも多くの人を笑顔に、元気にできることは、なにものにも変えがたい体験やと思う。
多分、5月から歩きに行く道の途中でこんなことばっかり考えるんやと思うけど、、、
とりあえず今年と来年は歩きながら考えようと思う。
この思想のトンネルはいつまで続くんやろかな。
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